ぼくときみは同じ日本語を使ってるんだけど、、同じなのは日本語なだけで、そこを掘り下げて考えてみると、使ってる言語はびっくりするほど、みんなが違ったものを使っている。。

それをより身近に感じるのが、公立の小中学校で、いろんな環境で育った、いろんな価値観をもったこどもたちがごちゃまぜに同じ場所で時間を過ごしてる。。集団生活というやつだね。。

ここで気にかかるのが、子供だから、持ってる価値観は親から一方的に与えられたものがおおいわけで、それは自分の意思で取捨選択をしたわけではなく、そこは経験値がないから、浅はかで、掘り下げることもできず、というか掘り下げるという発想がないことが大半なわけで、、

誰でも最初は間違えるし、おとなになっても間違いだらけなのかもしれないけど、なんというのかな子供だからという理由だけで、選択肢も与えず、その落とし所が人生で一番むずかしい環境下なんでけっこうきつくね??ということをここでいいたい

でもまあしんどいのは最初だけで年を取れば取るほど、自分とキャパが同じような人と過ごすようになるから、自然と言語も近くなって、小学校のような差を感じることは少なくなるんだけど、、

一応言っとくけど、私立は別だよ。あそこはいいとこの子が大半で公立ほどのダイバーシティはないから、、偏見かな??

つまり、大抵のこどもたちは一番むずかしい環境を義務教育という名のもとに一番最初に押し付けられるわけで、、

これは大抵のひとたちにとって詰みゲーになるんじゃない??と想いつつ、、実際にこの現状をみるとやはり無理ゲーなんかあ。。

だっていま日本を観てみて、50年くらいまえの教育を未だに採用してて、その結果が平均化というか、今の時代に逆行してる感が半端なくて、だからいままでの常識が崩壊して、そもそも常識ってなに??みたいな、、

最終的には生きてることすら苦痛みたいになるけど、最近はなんか吹っ切れた感があるから、もうそういうのは薄れたのかな??おれがそういう情報と距離をあけてるだけかな。

まあおれもご多分にもれず、そう感じてることがあって、未来にはある種の不安と倦怠感が支配してるときがあったんだけど、、ある男に出会って、教育って素晴らしいななどと。

人って自分と似たような価値観を持ってる人や常に時間をともにしてるような人の言ってることは大体予測することができるんだけど、それはあくまで予測で、だからお互いの意思疎通がすれ違ってることは結構あるんだよね。。

つまり、すり合わせができてないんだ、、
これすり合わせをみたことがないひとが指摘されても、イメージできないことが大半で、すくなくてもぼくは目の前で観るまで、それを体現してるひとを観たことがなくて、それはお互いの言葉の意味をひたすらすり合わせていく、一見地味で、でもとても美しい行程だった。。