「最後の医者は桜を見上げて君を想う」を読み始めた。。

ぼくは半ニート生活、、意地張ったね。。まあ時間に余裕があるわけで、何かしら新しい循環というか、今後25年の人生をどういきたいか??そしてそう生きるためには、どう在ればいいか??それを考たいときに読書は役に立つ。。

想像力は磨かれるから、自然とイメージが広がるし、それが在れば、大抵の理想を現実にすることができる。。これはちょっと検証した仮説の段階で、遊びながらいい感じに見つめていきたい。。

まあ、小説なら魅力的な主人公たちの姿が描かれてるし、そこから学ぶことも多いわけで、しかもおれが魅力的だと思う人達には、共通点があるから、そこを突き詰めて、掘り起こしていけば、ぼくの理想の在り方みたいのにも参考になると思う。。

あとは単純に感受性の枠が広がるし、自分は無知だと痛感させられる。。

本を忘れると同時にそういった感覚とも遠ざかるのかも。。

それに最近は知識欲も満たすことにエネルギーや時間を注げてなかったから、この時間は非常にたのしい、、

まあ、、でも前置きはこのくらいにして、、冒頭の本題へ。

「最後の医者は桜を見上げて君を想う」を読んだ。

これはぼくたちの身に起きるかもしれない、「小説の中の現実」を両極端にいる若く優秀な二人の医師を主軸に、緩やかにでも物凄い速さで迫りくる「死」と向き合い、掘り下げることで「選ぶ」ことの尊さを考えさせてくれる作品だった、、

正直この小説の感じを伝えるだけで、すごく時間を使ったように気がする、、(ホントのとこはよくわかんないけど)

なんでかというと、ぼくがこの小説をよんで、どうしてあれだけ泣いたのか?がわからなかったからだ、、

そう、、ぼくは泣いてた、、ただここのなぜを考えて、その感覚を言葉してくことに意味と価値がある、、と思う。。

だからぼくはここで価値をつくってみる、、
もっと正確にいうと、このなぜを言葉にしていく過程を踏まえることで、今よりもより多くのものが観えて、より純度の高いメッセージを伝わる人に伝えられるようになるから、、

そしてこの波でも価値を創ってみる。。
なんでぼくはあんなに泣いたのだろう??
感覚としてはただ、、

当たり前のものが当たり前じゃないと感じたからかもな、、んで、それがわかるのは決まって、当たり前を失ったあとなんだ。

ぼくにとっても大事な当たり前は失ってはじめてわかった、、その回数を重ねるごとに当たり前のような顔をしてる「幸福」に感謝みたいなものを大事にしてる、、つもりだった。

でもこの小説を読んで、ぼくは生きてることを当たり前だと想ってることに気づいたし、そこの根本の部分への感謝というか、しあわせについても考えていきたい、、

たぶん体が自由に動くことは当たり前だけど、当たり前じゃない。。んで、その本当の意味はそうなるまで、どこまでいっても感覚でしかなく、仮説止まりだ。。

でもそこを踏まえても、ぼくはぼくの体が今動いて、息をしてることに感謝しよう。。そう想えた瞬間にこみ上げてくるものがあったのかもしれない。

こみ上げてくるものと言えば、1つ印象的に残ってるシーンがある。。

それはこの小説の秀逸な点でもあると思うだけど、患者だけではなく、患者の家族の視点もしっかり描かれてるんだ、、短編の中に。短編といっても全体で3つのエピソードがあるから、それほど短くはないんだけど、でもその中途半端というか、丁度いい長さの中で、がっつり感情移入できたのは心地よかった。

あっ、、こみ上げてくるシーンの話を、、

それはほんとに何気ないんだけど、患者もその家族も立場は違えど、いや違うからこそ、感じる痛みや苦労も違うわけで、そのギリギリの環境下にあるなかで、想いの伝え方に愛が観えたときに熱くなったね、、目頭が。

たぶんどちらの立場になっても、片方が辛いことはわかりきってて、それでもうまくいかないときはそうなるわけで、でも、、

ぼくもてんかんを患ってて、宗教上の理由から薬が飲めないんだよね、、

それはやっぱり辛くて、キツいときもあったけど、両親や兄弟もぼくとはちがった「負荷」を感じてたのかな?などと痛切にかんじた。。

ぼくはひとり辛いみたいな顔してたけど、ほんとはそんなことなくて、支えられて今があるんだな、、いつかみんなが困ったときは、そっと手を差し伸べる人になりたい、、

すごいどんどん自分の理想の在り方が見つかってく、、
ひとりで頭をこねくり回してたときは何も始まらなかったのに、、

やっぱりこういうふうに自分と向き合って、言葉を探してくと今後の指針みたいのが観えていいな、、

いつも答えは自分の中にあって、それを取り出す方法をしってたら、在るべき姿にかえれるだろうなあ。。

なんかすごくいい気付きばっかだな、
このブログを始めてから、、

すごく良いコンテンツを生んでる気がする。。
あとはこれを届ける方法やぼく感覚をただ書いてく行程を遊びながらもっともっとを続けていけば、すべて上手くいくし、自然と宇宙規模のしあわせを受け取れる人間になる方向に向かって歩いてこ。。

えーとここまで書いて、いい感じで終わりそうだけど、最期にひとつだけ書いて置きたいことがあって、、

それはこの作品の魅力の1つでもあるんだけど、、

当たり前は無くしてから、それが当たり前だとしる。

この小説はそんな当たり前のことを、非常なリアリティーを持って、教えてくれる。

いつもそうだった、、当たり前の貴重さは無くなったときに始めてそれを教えてくれる、、当たり前の顔をして。

そんな過去の「当たり前」の経験を思い出しながら読めたから、「小説の中の死」を感じることができたし、イメージの中の死が伝わってきた。。

死について、考える機会があってよかったかも、、まだ60%してか読んでないから、残りを読みながら、これを機会に自分や身近にいる大切な人の死、顔も知らない誰かの死。

そういったものを考える時間を確保して、そこから生まれた感覚で大切だと感じたものを大切にして生きていきたい、、

最後に本はいいものだし、いい小説はおもしろい